雑記帳

チ。 ―地球の運動について― 第12話

2024-12-19 22:13:29
2024-12-30 01:50:14

オクジー「あまり他人を排除しすぎると間違いに気づきにくくなるのでは それは 研究にとってよくないんじゃ」
「確かな証拠がない以上 最後の最後 本当に地動説が真理だとは誰も断言できない」
「彼は自ら 自分が間違ってる可能性を信じ それを受け入れた」
「自らが間違っている可能性を肯定する姿勢こそが 学術とか研究には大切なんじゃないかってことです 第三者による反論が許されないなら それは信仰だ 信仰の尊さは理論や理屈を超えたところにあると思いますが それは研究と棲み分けられるべきでは そして反論してもらうには 他人が重要なので あまり排除するのは」
バデーニ「君は なぜそんなことを思った」
オクジー「昔それが希望だと教わったからです」
「自分以外に託すって姿勢に希望を見出してた そしてあろうことか その姿勢を天国へ行くことよりも 重視した 俺はずっとそれが不思議だった 託すとか任せるとか一見聞こえはいいですけど 実際 他人が自分の思い通りに受け継ぐかなんてわからない それどころか 思いもよらない反論をされる可能性もあるわけで だから託すなんて不安で とても希望とは思えない でも実は むしろ反論や訂正をされることが託すことの本質というか 自分の思い通りいかない誤解とか事故とか予想外の存在とか それこそ信徒にとっての異端者が 天動説にとっての地動説が そういう他者が引き起こすねじれが 現状を前に向かわせる希望なのかもしれないって思ったんです」
バデーニ「大まかには理解した だが同意はしない その話は大変危険だ」
「研究姿勢だからだ その姿勢を研究に採用してしまうと我々は目指すべき絶対真理を放棄することになる そして 学者は永久に未完成の海を漂い続ける その悲劇を我々に受け入れろと?」
オクジー「そうです それでも間違いを 永遠の正解だと信じ込むよりましでは。」

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ろく